今回の特別授業の講師は、あのパラリンピックで日本中に感動を与えてくれた、佐藤真海さん!
骨肉腫という病気を乗り越え、アスリートを目指してガムシャラに努力した日々のお話。
勇気を分けてもらえること間違いなし!これは必読です…
佐藤真海さんってどんな人?
1982年3月12日生まれ。宮城県気仙沼市出身。
パラリンピック走り幅跳び選手。サントリービジネスエキスパート株式会社勤務。
主な競技実績
2004年9月 | アテネパラリンピック9位 |
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2005年5月 | パラリンピックワールドカップ(英国)4位 |
2006年5月 | パラリンピックワールドカップ(英国)銅メダル |
2007年5月 | パラリンピックワールドカップ(英国)4位 |
2008年3月 | 九州チャレンジ陸上競技大会(熊本)にて走り幅跳びの日本記録更新(4m46cm) |
2008年9月 | 北京パラリンピック6位 |
著書
- 『夢を跳ぶ~パラリンピック・アスリートの挑戦~』(岩波ジュニア新書刊)
- 『ラッキーガール』(集英社刊)
- 『パラリンピックがくれた贈り物』(佐々木華子著/メディアファクトリー刊)
早稲田大学の応援部チアリーダーズに在籍中(当時19歳)骨肉腫という病気により、右足が義足の生活になった佐藤真海さん。
何度も挫折を繰り返し、辛い闘病生活に耐えながらパラリンピック・アスリートとしてスポーツを続けることを決意!つねに目標にチャレンジする心を忘れることなく、努力を続けた真海さんは、みごとパラリンピック日本代表として選出されました!
そんな真海さんから「困難にぶつかってもあきらめない心」「目標に挑戦し、達成する喜び」などを生徒さんに直接伝えてほしくて、今回の特別授業を企画しました☆
佐藤真海さんが教えてくれた4つのこと
中学から始めた陸上で『県大会出場』を目標に努力した真海さん。
中学2年生の時にみごと、1500mで県大会の決勝に進出し、8位入賞。
そのときに身を持って感じたことは『自分で立てた目標を達成することってこんなに嬉しいことなんだ!』ということ。
19歳で骨肉腫になり、右足と楽しい大学生活を失って落ちこんでいた真海さんを、ドン底から救ってくれたのも【目標】だったそうです。
「また目標を持てばつらい状況から抜け出せるかも!」と大好きなスポーツを再開することを決意。たくさんの障害や挫折を経験しつつも、パラリンピック日本代表に選ばれるまでになったんです。
真海さんは目標に向かって努力する自分を大好きになり、今では目標に向かうことが毎日の幸せになっているそうです。
中学時代から『文武両道』を目標にしていた真海さん。
陸上と勉強を通して
『がんばった分だけ自分に返ってくること』
『つらい時期を乗り越えた先に成長が待っていること』
を知ることができたそうです。
スポーツと勉強を両立して早稲田大学に合格した真海さんは『勉強ってスポーツ以上にやった分だけ返ってくるものだから、文武両道って本当は難しくないんですよ』と教えてくれました。
右足を失っても、パラリンピックアスリートの夢を追い続けられたのは、小学校~大学までの“目標に向かって努力し、達成する”経験があったからだといいます。
小学生3~6年生のとき、通っていたスイミングスクールの選手コースでコーチから言われた一言。 「目標をクリアすることってカンタンなことじゃないんだ!気持ちで負けない強い選手になれ!」
この一言で、スポーツの厳しさを知り、目標へ向かって努力することを意識するようになったそうです。
【目標を達成する】という経験を1回でもすれば、また次も必ず頑張れる!
自分の目の前に目標を作って、1つひとつガムシャラにステップアップしていくことが、将来かならず活きてくると教えてくれました。
「神様はその人に、乗り越えられない試練は与えないんだよ」
手術後、真海さんの一番の支えになった言葉で、お母さんから教えてもらったそうです。
「この苦しい試練を乗り越えれば、出会ったことのない自分に会える!」
辛くて押しつぶされそうなときも、この言葉を信じてがんばることができたそうです。
授業を終えて
ご自身の経験から、私たちの心に響くいくつもの言葉を伝えてくれた真海さん。本当にありがとうございました。
真海さんのお話を一生けんめい聞いていた生徒さん、保護者の皆さんからも「今日お話を聞けてよかった」「すごく勇気をもらった」という感想をいただき今回の特別授業を企画して本当によかったと思っています。